あなたが聞いているのは本当に「事実」ですか?

事実は一つ。でも解釈は人の数だけある。

「昨日○○さんにこんなことされたんだ。」

そんな話を聞いたことはありませんか?

「えっ、それはひどいね。」

相手が真剣に話していると、私たちは自然とそう思ってしまいます。

でもその出来事は本当にそれがすべてなのでしょうか。

私は人から誰かの話を聞いても、一方の話だけでその人を判断しないようにしています。

なぜなら人は嘘をついているわけではなくても、自分が見た景色を話していることがあるからです。

今日は、そんな「人を見る目」について考えてみたいと思います。

人は「事実」ではなく「解釈」を話していることがある

例えば、「昨日、挨拶したのに無視された。」という話。

これを聞くと「無視するなんて感じが悪い人だな」と思うかもしれません。

でも本当にそうでしょうか。

相手は考え事をしていて気づかなかったのかもしれない。

イヤホンをしていて聞こえなかったのかもしれない。

体調が悪くて余裕がなかったのかもしれない。

ここで一つ大切なのは、「無視された」と感じた人が嘘をついているわけではないということです。

その人には本当にそう見えたのです。

でもそれは出来事そのものではなく、その人が受け取った解釈でもあります。

私たちは気づかないうちに事実と解釈を一緒にして話してしまうことがあります。

同じ出来事でも、見える景色は違う

同じ出来事でも、見る人が変われば受け取り方も変わります。

「あの人は冷たい。」と言う人もいれば、

「あの人は感情に流されず、冷静な人。」と言う人もいます。

「あの人は頑固。」と言う人もいれば、

「信念を持っていてブレない人。」と感じる人もいます。

どちらが正しいという話ではありません。

その人の経験や価値観によって、見え方が違うだけなのです。

だから「○○さんってこういう人だよ」という言葉も、その人から見えた一つの景色なのかもしれません。

人は事実を話しているつもりでも、その中には自分の価値観や感情が含まれていることがあります。

だから私たちが聞いているのは「事実」だけではなく、「その人から見えた景色」なのかもしれません。

一方の話だけでは本当のことは見えない

私は人から相談を受けたり誰かの話を聞いたりするとき、できるだけ相手の話も聞きたいと思っています。

もちろん、つらい思いをした人の気持ちに寄り添うことは大切です。

でも、それと「相手はそういう人なんだ」と決めつけることは別の話です。

人にはそれぞれ事情があります。その場面だけでは見えない背景があります。

だから私は一方の話だけで人を判断したくありません。

最後は自分で会って、自分で感じて、自分で判断したいと思っています。

自分も誰かの「解釈」で見られているかもしれない

少し想像してみてください。

もし誰かが、あなたとの出来事を自分の価値観だけで周りに話していたら。

その話だけを聞いた人たちが「あなたってそういう人なんだ」と思っていたら。

本当は違うのに。

そんなつもりじゃなかったのに。

そう感じた経験がある人もいるのではないでしょうか。

だからこそ、私は人を決めつけない人でいたい。

人の話は参考にはする。

でもその人がどんな人なのかは、自分の目で見て、自分の心で感じて判断したい。

それが自分も相手も大切にすることにつながると私は思っています。

今日、持ち帰ってほしい言葉

「事実は一つ。でも、解釈は人の数だけある。」

だから、人を見るときは誰かの言葉だけではなく、自分の目で見て、自分の心で感じることを大切にしたいですね。

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